Edo sanza

江戸三座

えどさんざthe three licensed theatres of Edo

INSTANT ANSWER一撃回答

江戸で興行を公認された中村座・市村座・森田座の三つの芝居小屋。明治に至るまで江戸歌舞伎の中心であり続けた。

江戸三座(えどさんざ)とは、江戸で歌舞伎興行を公認された中村座・市村座・森田座(のち守田座)の三つの芝居小屋をいう。元禄期には山村座を含めて四座があったが、1714年(正徳4)の江島生島事件により山村座が廃絶され、以後は三座に限って興行が公認されたとされる。

天保の改革により、三座は天保12年(1841)の火災を機に移転を命じられ、天保13年から14年(1842〜43)にかけて浅草の聖天町へ移り、その地は猿若町と改められたとされる。以後、明治に至るまでこの町が江戸歌舞伎の中心地となり、芝居見物は江戸っ子の暮らしに欠かせない娯楽であり続けた。

三座が移り住んだ町「猿若町」の名は、江戸歌舞伎の記憶をとどめる地名である。寛永元年(1624年)に江戸で初めて櫓を上げたとされる初代猿若(中村)勘三郎の名にちなんで名付けられ、三座は「猿若三座」とも呼ばれた。芝居茶屋や役者の住まいが軒を連ねた芝居町は、江戸随一の華やぎを見せたと伝えられる。

初代以来、歴代の市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)が活躍した舞台は、まさしくこの江戸三座であった。荒事(あらごと)という江戸の様式も、三座の櫓の下で観客とともに育まれたものであり、江戸三座の歴史は市川宗家(いちかわそうけ)の芸の歴史と分かちがたく重なっている。

SOURCES

出典・監修

執筆
KABUKI Universe編集部
監修
市川團十郎
公開日
2026年8月16日(日)
最終更新日
2026年9月9日(水)
監修済み

監修は、市川團十郎に趣旨と要点を確認いただいたことを示します。本文は編集部の文章であり、市川團十郎の発言ではありません。文責は編集部にあり、記述の誤りは編集部の責任で訂正します。 編集方針を読む