歌舞伎D-13

ICHIKAWA SŌKE

なぜ「市川家」ではなく「市川宗家」なのか

市川宗家とは、成田屋・市川團十郎家を指す呼称です。歌舞伎には他の芸道のような「家元」の呼称がなく、その芸の正統を伝える本家として團十郎の家を「市川宗家」と呼んできました。初代の荒事、七代目の歌舞伎十八番、そして九代目に確立した宗家の位置づけを受け継ぐ家を指します。

市川宗家とは、成田屋・市川團十郎家を指す歴史的な呼称です。そこには、名前を受け継ぐだけではなく、江戸歌舞伎を象徴する芸、型、演目、精神を守り、次の時代へ渡していく役割が込められています。

01AT A GLANCE

一目で分かる市川宗家

呼称
市川宗家
屋号
成田屋
定紋
三升
家の芸
荒事
代表的な演目群
歌舞伎十八番
継承するもの
名跡・芸・型・演目・精神
02THE INHERITANCE

受け継がれてきたもの

I

初代と荒事

江戸歌舞伎を象徴する芸が、ここから始まった。

初代市川團十郎は、元禄期に江戸歌舞伎を象徴する演技様式「荒事」を創始したとされます。力強い隈取、動きを止めて感情を極める見得、大きく手足を振る六方、そして人間を超えた力を持つ主人公像。その表現は、江戸歌舞伎の発展に大きな役割を果たしました。

荒事の見得は、初代が不動明王の姿を真似ることから生み出したとも言われます。成田山新勝寺の不動明王に子を授かるよう祈願したという縁から、屋号は「成田屋」となりました。芸と信仰と土地の名が、初めから結びついていたことになります。

以来、市川團十郎の名を継ぐ家は、元禄年間から荒事によって歌舞伎を牽引し、「江戸歌舞伎の領袖」とみなされてきました。

VII

七代目と歌舞伎十八番

家に伝わる芸を、十八の演目として書き残した。

1832(天保3)年、七代目市川團十郎は、息子に名跡を継がせる際、それまで家に伝えられてきた演目のなかから十八を選び、刷り物として配りました。のちに『勧進帳』を初演する折、これらをあらためて「歌舞伎十八番」と呼び、その名称が次第に定着していったとされます。

この「十八番」は、のちに得意なものを指す日本語「おはこ」の語源になったとされます。家の芸を一覧として言葉にしたことが、日常語にまで残ったことになります。

十八番の多くは、初代・二代目ゆかりの荒事の演目です。名跡だけでなく、どの芸を家のものとして受け継ぐのかを明示した——この体系化が、市川宗家という呼称を支える大きな根拠のひとつになっています。

IX

九代目と宗家の確立

名実ともに、宗家となった。

芸道の世界では、その芸の正統を伝える最高権威の本家を「家元」と呼び、ときには「宗家」とも呼びます。しかし歌舞伎に家元という呼称はなく、團十郎の家を「市川宗家」と呼んできました。同じ「正統を伝える家」という位置づけを、歌舞伎は宗家という言葉で表してきたことになります。

明治になり、九代目市川團十郎は、新しい時代の思潮に適合した演劇活動と上流階級との交際によって、歌舞伎俳優の社会的地位を向上させることに成功したとされます。これによって、宗家としての権威は名実ともに確立したと記されています。

その象徴が、明治20年(1887)4月、外務大臣・井上馨の邸宅で行われた天覧歌舞伎です。明治天皇の御前で『勧進帳』の弁慶などが勤められました。それまで身分の低い者と見なされてきた歌舞伎俳優が、天皇の前で芸を披露する——この一事が、歌舞伎という芸能そのものの位置づけを変えたとされます。

以来、他家の俳優が歌舞伎十八番の演目を勤める場合には、「市川宗家の許しを得て——」と述べる習わしが伝えられてきました。宗家という呼称が、単なる敬称ではなく、家の芸に対する具体的な作法として受け継がれてきたことを示しています。

XIII

十三代目と、これから

受け継いだものを、世界へひらく。

2022年11月、市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿が誕生しました。同じ舞台で長男が八代目市川新之助を襲名し、名跡は次の世代へも渡されています。

市川宗家が受け継いでいるのは、團十郎という名前だけではありません。荒事の型、歌舞伎十八番、三升の紋、成田屋の精神、そして、それらを次の時代へ渡していく責任です。

古典の上演を軸にしながら、映像やデジタル、海外への紹介、植樹活動へも活動をひろげる。守ることと、ひらくこと。その両方を同時に引き受けているのが、いまの市川宗家です。

THE MEANING OF D-13

十三代目から、次の時代へ。

「D-13」の13は、単なる数字ではありません。初代から受け継がれてきた芸、名跡、精神、そして責任を背負う「十三代目」を意味します。

市川宗家が守り、磨き続けてきた歌舞伎を、十三代目市川團十郎の視点と言葉で現代へひらき、世界へ伝えていく。それが、KABUKI D-13です。

03FAQ

よくある質問

市川宗家とは何ですか?

市川宗家とは、成田屋・市川團十郎家を指す呼称です。初代市川團十郎が創始したとされる荒事、歴代の團十郎に伝わる歌舞伎十八番、團十郎の名跡などを受け継いできた本家を意味します。

なぜ市川團十郎家は「市川宗家」と呼ばれるのですか?

初代市川團十郎が荒事を創始し、市川團十郎家が元禄期以来、荒事によって江戸歌舞伎を牽引してきたこと、さらに七代目が家に伝わる芸と演目を歌舞伎十八番として体系化したことなどから、成田屋・市川團十郎家は歴史的に「市川宗家」と呼ばれてきました。

市川宗家は歌舞伎界全体の家元なのですか?

歌舞伎には、他の芸道のような「家元」という呼称や制度はなく、團十郎の家を「市川宗家」と呼んできました。宗家は歌舞伎界全体を制度的に統括する立場ではなく、ほかの家との優劣を示す呼称でもありません。ただし、市川宗家に伝わる歌舞伎十八番の演目を他家の俳優が勤める際に「市川宗家の許しを得て」と述べる習わしが伝えられるなど、家の芸に対する敬意は今日まで受け継がれています。

ほかの家の俳優が歌舞伎十八番を上演することはありますか?

あります。歌舞伎十八番は市川宗家に伝わる演目群ですが、ほかの家の俳優が勤めることもあります。その際には「市川宗家の許しを得て——」と述べる習わしが、明治期に九代目市川團十郎が宗家としての権威を確立して以来、伝えられてきたとされます。

成田屋とは何ですか?

成田屋は、市川團十郎家の屋号です。初代市川團十郎が成田山新勝寺の不動明王に子を授かるよう祈願したという縁に由来するとされ、客席から役者にかける掛け声「成田屋!」としても親しまれています。

D-13の「13」には、どのような意味がありますか?

D-13の「D」はDANJURO、「13」は十三代目を表します。市川宗家に受け継がれてきた歌舞伎を、十三代目の視点と言葉で現代と世界へ伝えるという意志を込めています。