Ichikawa Sōke
市川宗家
いちかわそうけthe head family of the Ichikawa Danjūrō lineage
INSTANT ANSWER一撃回答
成田屋・市川團十郎家を指す呼称。初代が創始したとされる荒事、七代目が体系化した歌舞伎十八番、團十郎の名跡を受け継いできた本家を意味する。
歌舞伎には、それぞれ固有の芸、型、演目、名跡を受け継ぐ多くの家がある。そのなかで、成田屋・市川團十郎家は「市川宗家」と呼ばれてきた。
初代市川團十郎は、元禄期に江戸歌舞伎を象徴する演技様式「荒事」を創始したとされる。以来、市川團十郎の名を継ぐ家は荒事によって歌舞伎を牽引し、「江戸歌舞伎の領袖」とみなされてきた。さらに1832(天保3)年、七代目市川團十郎が家に伝わる演目から十八を選び、のちに「歌舞伎十八番」と呼ばれる体系が生まれた。名跡だけでなく、どの芸を家のものとして受け継ぐのかを明示したことが、この呼称を支える大きな根拠となっている。
芸道の世界では、その芸の正統を伝える最高権威の本家を「家元」と呼び、ときに「宗家」とも呼ぶ。歌舞伎に家元という呼称はなく、團十郎の家を「市川宗家」と呼んできた。明治になり九代目市川團十郎が、新時代の思潮に適合した演劇活動と上流階級との交際によって歌舞伎俳優の社会的地位を向上させ、宗家としての権威は名実ともに確立したとされる。以来、他家の俳優が十八番物を勤める際には「市川宗家の許しを得て——」と述べる習わしが伝えられてきた。
ただし「宗家」は、ほかの歌舞伎の家との優劣を示す順位ではなく、宗家が興行や俳優を制度的に統括しているわけでもない。成田屋・市川團十郎家の歴史、家の芸、名跡の継承に基づいて定着し、家の芸への敬意として受け継がれてきた固有の呼称である。
市川宗家が受け継いでいるのは、團十郎という名前だけではない。荒事の型、歌舞伎十八番、三升の紋、成田屋の精神、そして、それらを次の時代へ渡していく責任である。2022年11月に十三代目市川團十郎白猿が誕生し、同じ舞台で長男が八代目市川新之助を襲名した。KABUKI Universe の中核にあるプロジェクト名「D-13」の13は、この十三代目を指している。
この用語が分かる演目
この語を読んだら、次はこれ
同じ舞台の上でつながっている言葉です。ひとつ知ると、もうひとつが分かりやすくなります。
- 荒事aragoto初代市川團十郎が創始したとされる勇壮な演技様式。隈取や巨大な衣裳、大きな見得によって、人間を超えた力と正義を表現する。読む
- 十八番jūhachiban / ohako市川宗家が家の芸として選んだ十八の演目「歌舞伎十八番」。転じて、得意なものを指す言葉「おはこ」の語源になったとされる。読む
- 屋号yagō歌舞伎役者の家に代々伝わる、家の呼び名。市川團十郎家の屋号は「成田屋」。劇場では観客の掛け声としても響く。読む
- 三升mimasu市川團十郎家の定紋。大・中・小三つの升を入れ子に重ねた意匠で、初代が贈られた三つの升に由来するともされる縁起の紋。読む
- 團十郎茶danjūrō-cha市川團十郎家ゆかりの柿色系の伝統色。成田屋公式は二代目が『暫』の素袍に用いてから荒事の色になったとし、のちに江戸で流行して團十郎茶と呼ばれた。読む
- 白猿hakuen五代目團十郎の俳名に由来する号。名人にはなお及ばないという謙遜を込めたとされ、当代十三代目も「白猿」を名乗る。読む
出典・監修
- 歌舞伎の歴史|日本芸術文化振興会 国立劇場
- 荒事の見得|文化デジタルライブラリー(日本芸術文化振興会)
- 成田屋(市川團十郎家)公式サイト
- 歌舞伎美人(松竹)
- 季刊『歌舞伎』別冊 第一号「市川家百科」宗家の項(松竹株式会社、1969年9月/監修 松井俊諭・服部幸雄・富田鉄之助)
- 執筆
- KABUKI Universe編集部
- 監修
- 市川團十郎
- 公開日
- 2026年8月16日(日)
- 最終更新日
- 2026年9月9日(水)
監修は、市川團十郎に趣旨と要点を確認いただいたことを示します。本文は編集部の文章であり、市川團十郎の発言ではありません。文責は編集部にあり、記述の誤りは編集部の責任で訂正します。 編集方針を読む