令和
十三代目
市川團十郎白猿
劇場の外へ、世界へ。映像とデジタルで開く
- 生没年
- 1977-12-06
- 團十郎を名乗った期間
- 2022-11
- 襲名時の年齢
- 44
- 前名・俳名
- 堀越孝俊(初御目見得の名)/七代目市川新之助/十一代目市川海老蔵
30秒で分かる、この代の團十郎
七代目市川新之助、十一代目市川海老蔵を経て、二〇二二年十一月、歌舞伎座で十三代目市川團十郎白猿を襲名した。同じ興行で長男が八代目市川新之助を名のる。パリ・オペラ座やカーネギーホールでの公演、口上の生配信など、古典の上演と並行して劇場の外へ活動をひろげている。
受け継いだもの
二〇〇四年五月、歌舞伎座『暫』の鎌倉権五郎ほかで十一代目市川海老蔵を襲名。江戸歌舞伎の総本山といわれる市川團十郎家の家の芸を受け継いでいる。
一九九九年一月、浅草公会堂で弁慶を初役で勤めた。二〇二二年十一月の襲名でも『勧進帳』ほかを勤めている。
白猿は五代目が初めて用い、七代目も用いた俳名。十三代目はこれを名跡に加えて「市川團十郎白猿」と名のっている。
日本俳優協会「歌舞伎俳優名鑑」は、屋号を成田屋、定紋を三升と記す。
生み出した・変えた・復活させたもの
自主公演「ABKAI」
成田屋公式は、二〇一三年八月に自主公演を初開催し、以降継続していると記す。
六本木歌舞伎
二〇一五年二月に初開催、以降継続。歌舞伎俳優名鑑は、こうした新路線で歌舞伎以外の人材とも交流していると紹介する。
『襲名披露 口上』のオンライン生配信
松竹「歌舞伎美人」は、二〇二二年十一月七日の歌舞伎座「十一月吉例顔見世大歌舞伎」夜の部『襲名披露 口上』を、松竹公式動画配信サービス「歌舞伎オンデマンド」で生配信すると告知し、これを歌舞伎座からのリアルタイム生配信として「初の試み」と記している。
海外での公演
成田屋公式が挙げる海外公演には、二〇〇七年三月のパリ オペラ座ガルニエ宮『松竹大歌舞伎』、二〇一六年三月のニューヨーク カーネギーホールなどがある。ほかロンドン、アムステルダム、モナコ、ローマ、シンガポール、フジャイラでも公演している。
代表的な芸・役・演目
一九九九年一月、浅草公会堂で初役。二〇二二年十一月の襲名でも勤めた。
二〇〇四年五月、歌舞伎座。十一代目市川海老蔵襲名の演目。
一九八五年五月、歌舞伎座。七代目市川新之助を名乗った初舞台。
歌舞伎俳優名鑑は、二〇〇〇年に新橋演舞場で戦後最年少の『助六』を勤めたと記す。
『源氏物語』光源氏
二〇〇〇年五月、歌舞伎座で初役。歌舞伎俳優名鑑は、その延長上の新演出による『源氏物語』が話題になったと紹介する。
その時代の歌舞伎
古典芸能の継承があらためて重視される一方で、新しい取り組みも次々と行われている。日本芸術文化振興会は、現代劇の作家や演出家との連携、漫画やアニメ作品を原作とする新作の上演、歌舞伎専用の劇場以外での公演などが活発になり、歌舞伎がこれまで以上に幅広い客層から親しまれていると記す。歌舞伎は二〇〇五年にユネスコの傑作宣言を受け、二〇〇八年に人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に記載された。
同じ頃、世の中では
- 2023-10日本社会
初代国立劇場が再整備のため閉場
日本芸術文化振興会は、国立劇場が開場から六十年近くを経て老朽化が進んだため、令和五年十月末に国立演芸資料館(国立演芸場)と伝統芸能情報館を含めて閉場・閉館したと公表している。以後、主催公演は他劇場で行われている。
- 2026-05-27日本社会
大阪松竹座が閉場
松竹「歌舞伎美人」は、大阪松竹座が二〇二六年五月二十七日より閉場していると案内している。上演の場そのものが移り変わる時期にあたる。
- —芸と演目
劇場の外へ広がる歌舞伎
日本芸術文化振興会は、現代劇の作家や演出家との連携、漫画やアニメ作品を原作とする新作の上演、歌舞伎専用の劇場以外での公演などが活発になっていると記す。
時代との接点
- 2021-07世界
東京2020オリンピック開会式への参加
成田屋公式は、二〇二一年七月の東京2020オリンピック競技大会開会式に参加したと記す。襲名前、市川海老蔵としての出演にあたる。
- 2022-10-31–2022-11-01芸と演目
襲名披露記念 歌舞伎座特別公演
松竹「歌舞伎美人」は、二〇二二年十月三十一日から十一月一日の「十三代目市川團十郎白猿襲名披露記念 歌舞伎座特別公演」をもって、市川海老蔵が十三代目市川團十郎白猿を、堀越勸玄が八代目市川新之助を名のることになったと報じている。約二年にわたる襲名披露興行がここから始まった。
- 2022-11-07メディア
歌舞伎座からの初のリアルタイム生配信
松竹「歌舞伎美人」は、襲名披露公演の初日にあたる二〇二二年十一月七日、夜の部『襲名披露 口上』を「歌舞伎オンデマンド」で生配信することを、歌舞伎座からのリアルタイム生配信として初の試みと告知した。
- 2007-03世界
パリ オペラ座での『勧進帳』
歌舞伎俳優名鑑は、二〇〇七年の史上初のパリ・オペラ座公演で、故十二代目團十郎と『勧進帳』の弁慶をダブルキャストで勤め、最後の引っ込みのやり方をめぐって父と議論したうえで、客席の通路を花道に見立てて六方を踏んだと伝える。
この代から、次の代へ
襲名の口上が歌舞伎座から生配信され、初舞台の長男とともに全国を回る興行が二年にわたって続いた。荒事と歌舞伎十八番を受け継ぎながら、上演の場と届け方そのものを広げている、現在進行形の代である。
資料によって異なる点
次の事項は、参照した資料のあいだで記述が分かれています。当サイトではどちらかを正しいものと断定せず、両方を示したうえで扱いを明記します。
十三代目としての襲名を、いつをもって始まりとするか
二〇二二年十一月、歌舞伎座の襲名披露興行をもって十三代目市川團十郎白猿を名のったとする。
十月三十一日から十一月一日にかけて歌舞伎座で行われた襲名披露記念の特別公演をもって、その名を名のることになったとする。
当サイトの扱い
当サイトは「團十郎を名乗った期間」の始まりを、成田屋公式と歌舞伎俳優名鑑がともに記す二〇二二年十一月としています。十月三十一日からの特別公演は、それとは別に時代との接点として日付つきで載せ、どちらの記述も読めるようにしました。
襲名時の年齢の数え方が、代によって揃っていないこと
二代目から九代目までの襲名時の年齢は、成田屋公式の家系図が各代のページに記す数字をそのまま採ったもので、数え年とみられる。
出典: 成田屋(市川團十郎家)公式サイト「家系図」各代のページ
十三代目の四十四歳は、生年月日(一九七七年十二月六日)と襲名の月から計算した満年齢である。十二代目も同じ数え方による。
当サイトの扱い
出典の数字をそのまま載せているため、代によって年齢の数え方が揃っていません。統一のために書き換えることはしていないので、代をまたいで年齢を比べる際はご注意ください。
現在にも残る影響
歌舞伎俳優名鑑は、市川團十郎家の総帥として歌舞伎界をリードする役目を担いながら、家の芸を継承し磨きをかけてゆく存在だと紹介する。
襲名披露の口上が歌舞伎座から生配信されるなど、劇場に来られない観客にも届ける試みが続いている。
同じ興行で長男が八代目市川新之助を名のり、初舞台を踏んだ。