Q&A

市川宗家・成田屋

歌舞伎十八番・新歌舞伎十八番の全演目が、現在上演されていないのはなぜですか?

ANSWER答え

選定の時点で既に上演が絶え、台本や型が十分に残っていなかった演目があるためです。以後、復活上演によって少しずつ舞台に戻されてきたとされます。

KEY POINTS

ここだけ押さえる

  • 十八番(じゅうはちばん(おはこ))が選定された天保年間、その中には既に長く上演の絶えていた演目が含まれていたとされる。
  • 江戸の芝居は一回性が強く、台帳や型が体系的に残らないまま失われた芸も多い。
  • 九代目團十郎(だんじゅうろう)以来、歴代の俳優が資料と想像力で欠けた部分を埋める復活上演を重ねてきた。
  • 十八番(じゅうはちばん(おはこ))」は完成品の棚ではなく、掘り起こしが続いている鉱脈である。
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歌舞伎十八番

  • 不破
  • 鳴神
  • 不動
  • 象引
  • 勧進帳
  • 助六
  • 外郎売
  • 押戻
  • 矢の根
  • 関羽
  • 景清
  • 七つ面
  • 毛抜
  • 解脱
  • 蛇柳
  • 鎌髭

今日ごく普通に上演される上演の機会が限られる

七代目市川團十郎が天保年間に選定したとされる十八の演目。選定の時点で既に上演の絶えていたものも含まれており、以後の復活上演で少しずつ舞台に戻されてきました。完成品の棚ではなく、掘り起こしが続く鉱脈です。上演の多寡は時期によっても変わります。

「十八番」をくわしく

くわしく

まず時系列を押さえておきたい。歌舞伎十八番(じゅうはちばん(おはこ))は、七代目市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)が天保年間に、市川家ゆかりの演目十八を選び定めたものである。ここで大事なのは、選定が「今よく上演されている演目を並べた」作業ではなかったということである。市川家の芸として由緒のある演目を挙げたのであって、その中には、当時すでに久しく舞台にかかっていないものが含まれていたとされる。

なぜ絶えてしまうのか。江戸の芝居は、その場かぎりの興行という性格が強かった。台帳は残っても、動きや音楽の段取り——つまり型——は俳優の身体にしか無く、演じる人が絶えれば同時に失われる。加えて、江戸の劇場は火事に幾度も見舞われており、資料そのものが失われた例も少なくない。こうして、題名と断片的な記録だけが残る演目が生まれた。

その後の歴史は、埋め戻しの歴史である。九代目團十郎(だんじゅうろう)以来、歴代の俳優が、残された台帳や番付、絵画資料を手掛かりに、欠けた部分を推定と想像で補いながら復活上演を重ねてきた。ただし、すべてが常打ちの演目に戻ったわけではない。復活の後もまた間遠になった演目もある。だから「十八番」は、完成した名作集の棚というより、いまも掘り起こしが続いている鉱脈と考えるほうが実態に近い。新歌舞伎(しんかぶき)十八番についても事情は近く、こちらは九代目團十郎が撰したとされる演目群である。

この回答に出てきた言葉

天保年間
江戸後期の元号の期間。歌舞伎十八番(じゅうはちばん(おはこ))の選定はこの頃とされる。
新歌舞伎十八番
九代目市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)が撰したとされる演目群。歌舞伎十八番(じゅうはちばん(おはこ))とは別の系列にあたる。
SOURCES

出典・記載の方針

本項は、歌舞伎について広く共有されている基礎的な知識に基づく編集部の回答です。慣行として伝えられる事項は「とされる」と記し、断定を避けています。

執筆
D-13編集部
公開日
2026年8月25日(火)
最終更新日
2026年8月25日(火)