OMODAKAYA — YAGŌ
澤瀉屋
澤瀉屋は、市川猿之助家の屋号です。歌舞伎事典は、九代目市川團十郎の弟子で明治・大正に活躍した二代目市川段四郎からが有名と記し、二代目猿之助(初代猿翁)と三代目猿之助(二代目猿翁)が舞踊や新作、スーパー歌舞伎で歌舞伎に新風を吹き込んだと説明しています。三代目猿之助が制定した「澤瀉十種」が家の芸として伝わります。
歌舞伎事典「市川家(段四郎・猿之助系)」は、九代目市川團十郎の弟子で明治・大正時代に活躍した二代目市川段四郎からが有名と記します。その息子の二代目市川猿之助(後の初代市川猿翁)は、舞踊にバレエの演技を取り入れたり、新作を上演したりしました。二代目の孫にあたる三代目猿之助(後の二代目猿翁)は、スーパー歌舞伎で歌舞伎界に新風を吹き込んだと同事典は記しています。
家の芸は「澤瀉十種」です。歌舞伎演目案内によれば、初代市川猿翁の創作あるいは新演出による舞踊を、1975(昭和50)年の十三回忌に因んで三代目猿之助が制定したもので、同資料はこれとは別に「猿翁十種」があると記します。荒事の集成ではなく一代の創作舞踊の集成である点で、歌舞伎十八番とは性質が異なります。定紋は八重澤瀉です。
歌舞伎俳優名鑑によれば、四代目市川猿之助と九代目市川中車は2012年6・7月に新橋演舞場で襲名し、五代目市川團子は同じ公演で初舞台を踏みました。中車と團子の会の公式サイトは、中車の父、團子の祖父が二世市川猿翁であると記しています。
屋号「澤瀉屋」の由来は、本サイトでは一次資料で確認できるまで書きません。「猿翁十種」「三代猿之助四十八撰」の一覧と制定の経緯も同様です。
定紋 — 八重澤瀉: 歌舞伎俳優名鑑は、市川猿之助の定紋を「八重澤瀉、三ッ猿」、市川中車を「立澤瀉」、市川團子を「八重澤瀉」と記します。
家の芸・演目
「選び定められた演目群」と「家に伝わる芸」は別のものです。名称も成立の経緯も家ごとに違い、同じ制度がすべての家にあるわけではありません。
この家の名跡
- 執筆
- KABUKI Universe編集部
- 公開日
- 2026年9月12日(土)
- 最終更新日
- 2026年9月12日(土)